長い雨はいつか降り止んで天は私に微笑んでくれたことだろうか

はい、ということでこんなポエミーな文頭なんですが、なにがあったわけでもなくひと段落ついただけでございます。

 

うーん、このなにも分からない状態。少しだけ前は見えているけれど進むには疲れが溜まりすぎていてどうにも足が凭れてしまう感じが...

 

目隠しで進んだ方が案外人間は無鉄砲に進みやすかったりするんだろうけれどそれはある程度の死なない予測や安全が確保されてから出来ることで...

何事もなく終わってよかったと心から思う次第でございます。

 

また次の土地でもやってけるといいなと思いつつ、今日は休みを謳歌するのでしたと...

隋書

というか何なのこのタイトル...

 

というわけで徒然なるままに何かしらを書いていこうと思いますが宜しいのかな。

 

ああ。そういえばだれも見ないということが前提だったんだけどね。どっちでもいいのかな。

 

随筆的なものを書いてみようかと思いまして、こんな感じになりました。

 

なんというか、小説とかものがたりを作り続けることに疲れたと言いますか...

 

まぁ、公開されているかもよく分からない物ですし、書いたところでという話です。

 

最終的には何かの作品を世に残したい気持ちがありますけれども、なかなか技術が伸びない。

 

今もこんな感じで2行にまとめるのもその訓練の一環かなと思いつつ書き続けています。

 

段落を意識するようになっただけマシにはなったのかなぁ...と思いつつ。思いつつが多い。

 

しかしながら今の気分とて能く保つものではなくて、その時その時のタイミングで作品は途切れてしまう。作品一つに対しての集中力がなかなか続かないというか。

 

イラスト描く方ではそこまででも無いのですが、それが年数の違いということなのでしょうか。

 

だったら時間に身を任せるという思考放棄な選択肢を選んでしまうことにはなるのだけれど。

 

このように随筆を書いていく練習もなんらかの形で小説作り、物語作りに役立つのではないかと思ってみる。

 

このような形式で書くのは初めてなので、意外とすらすらかけてよかったなと思いつつ、この行間があると誤字に気がつき安く、読み易い。

 

まぁ、いいことばっかしだったということです。絵もそうだったのだけど、一つの箇所になにかを詰め込みすぎない。技術で綺麗に見せられればそれでいいのだけど。

 

慣れないうちはするなと。そういう訳ですね。

あと今気が付いたけど、文体は統一した方がよみやすいなぁと思いました。

 

このように気づきが多くあるのは良いことだと思います。文章を書くことはずーっとついて回ることであって、社会でも必要とされる。

 

だから書いてるってわけじゃないんですけどね。今回はこんな感じでお試しで書いてみました。次回も書けたらいいですね。

寂しさが寂れる頃に私も私ごと錆びていくのか

意味深なタイトルですみませんね...最近友達という友達と喋らないせいで、なんだか自分の中での社会性...?ってものが薄れてきているんですよね。これ、どうにかしないとなーって思ってはいるんですよ。しかしながら簡単に解決できそうにない。解決した方がいいのに。

難しいことを考える。それ自体思考を使って遊んでいることだったりする。それに加えて感情の面倒まで見なければならない。どうも今年度は世知辛かった。正直ここに書き込んでいる余裕すらなかった。まぁ、今年度に関しては皆が皆苦しかったに違いない。

そう思い込む、そうすれば楽になる。諦めがつくんだと。何事も諦めが肝心だとはよく言ったものだ。その諦めというのは往生際のことかもしれない。なんとかここまでやってきた。

息切れが激しい。動悸がする。不安でおかしくなりそうなそんな毎日を送りながら、ふと気づいて、なんとか今に至る。今思ってもゾッとするくらいだから、まだ過去は振り返りたくないものだ。しかし、友達はどこに消えたんだ...?

みんなどこへ行った、とはよく言ったものだ。

見送る者もいないし。寂しいもんだねぇ。悲しきを文で表現することが大切なのかもしれない。日本文学でも読むか。といっても、友達を作るという問題を解決したことにはならないだろう。

世間知らずも甚だしい。そう言っていた自分はブーメランを投げていたか。どっちかというと、世間を性善説で見過ぎでいた節がある。ぬかるみに足が絡めば最後。って感じで、命からがら助かって来たって感じ。一時期ホント精神的に危なかった。車のせい。

今の頭の中はどうだい、元気に水槽の中を泳いでいるのかい。さぁ知らないが。たまには釣りに行きたいかもね。仕事が始まる、仕事が始まる。あー。

 

社会かー。なんだろうね。会うことを前提とした空間を意味するのかね。祭りごとを収めたり、経て済ませたり、陣地を取ったり、ルールを決めたり、社会科学ってなんなのだろうか。

今認識できないほどに自然と思っている何かなのかもしれないなぁと思ったり。

 

公然の科学。どこまで行けば生活なのか。

根本的に寂しさは何も、何も解決されていないように思える。どこまでも孤独で、どこまでも苦しい。そんなのが続くのかな。

寒い、冷える日々が続きそうな気がした。