論理思考を奪われた時間平面

したいことをしたいときにできるように世の中は作られていない。ギリギリの所でつじつま合わせを必ず図ってくる。このため、大量の利益を得ることはどの年においてもむつかしく思われる。試みてきたところで失敗を恐れ、安全策を選ばざるを得なくなってくる。しばらく本を読まねば論理思考回路はさび付き、蝉の鳴き声にすら憤りを感じてしまうこと。涼しさを求めるあまり、ホラーにのめりこめば、いつの間にか運気は急降下。手早く扇風機でも買ったほうが何10倍もましなことだろう。時間と金は常に同じレートで取引されはしない。休暇時の金はドブに捨てるようなもので、繁忙時の時間は価値のなくなった札束に同じ。あらかじめ使い方を決められたものなど使ってもいみがないよ。権力に屈し、金で解決。こういう策は消費ゲージが決まっているのである。無意味に使えば誰も助けはしないだろう。お金ですることというのは、元来本を買うためにしか使わなくていいと思っている。知を蓄えることは本でしかできない。しかし他の衣食住はある程度補償が効いている。この上一般常識、というものは論理栄養の補給を前提として話を進められることがしばしばみられる。世話焼きだろうが、かわいい女子であろうが、結果知識を持たない者は残っていない。隠居したり、空気と化してはやりから逸脱してしまった人間を除くと、依然として一筋縄に世の中は過ごしていけないものである。学歴に胃を痛め、バイトに身を窶す。ゲームでいうゴール、クリアとはこれではないと、誰でもわかっている。しかし、知ってはいない。どこかで奇跡が起こることを誰しもが待っている。皆平等に、努力をしたくないと思っている。これは誤謬である。なんでかって、こう問われると、さまざまな思想があることを知っておく必要がある。何も、知というものは一回インストールすれば何度でもスタートできるプログラムとは違って、よほどの暗記能力、文字保存能力でもない限り正確に的確に脳から引っ張り出せることは少ないのである。記憶は劣化する。日々睡眠によって再編纂される記憶とは蓄積され、しまわれる抽象情報である。勿論、手では触れることができないため、直接取り出すことはできない。この上、パソコンと同じように、メモリを喰う。お荷物みたいなものである。サプリメントで容量を増やしたり、サーバを円滑にできたり、薬理学からのアプローチはできるものの、さてこれは私の仕事だったかな、と。気づかないうちにやることが増えている、これは恐怖である前に、怠惰の結晶、逃れるべき足枷であろうよ。