引き出しも何もなくただただ守りを固める狭苦しい日々

 しかしこれはまた変なタイトルを付けた。このような自由な弁論が可能なところにおいてさえもなんというか癖、というものは出てしまうのだなと私は少し感じた。なんとは思わないが何と思わしてくれ。突破口というか近況報告。あー。眠いなぁ。というか気を必死に紛らわせているなにがしか。つまらない妄想だったり、創作環境のない現状だったりストレスの素となる事柄はたくさん存在しているようなのだけれども、なんというかとにかく働けないということがこんなにも人生をハードモード化するとは思わなかった。予測はしていたけれど、予知のほうがあたるんだなって適当に思ったりしました。とりあえず無駄に時間を使わないように取り組んでいるわけですが、時間を使わないなんてできるもんじゃないことなんですよね。時間という壁に毎日私たちは無意識的に押されているのですから。サプリメントを決めてでもやりきらないといけない仕事はあるし、泣き言は許されていない。こりゃどうしたことか。年が、オリンピックが、周期的にもたらす何らかによって私たちは振り回されているわけですけれども、何とはなしに気軽に過ごせるほどの、平和最低限の時間でさえ私は所持できていないのである。まだ私はどん底の中なのかもしれないし、ある集団において、特殊な環境、時間の連続によって錯覚を起こしているだけなのかもしれない。なんにせよこうやってブログを書くことさえ近日なしとげられていなかったことがらの一つでしかなくなっており、優先度がその分現実の生活に回されているという現状が非常に非論理的に、非倫理的に見えてならない。年相応の、発達課題のような何かなのか、ハードルなのか。助けたはいいものの足を引きずられるばっかりで道連れになるケースも珍しくないんじゃないかな。少なくとも今年というここ数十年で一番のレアケース、イレギュラー。避けることができないとしてもタイミングが悪すぎる。まだまだ不満は、疑問は、疑念は、無念は尽きないのだがここで一旦筆を止めるとしよう。このままだとストレスの垂れ流しになり火年と思うから。