寂しさが寂れる頃に私も私ごと錆びていくのか

意味深なタイトルですみませんね...最近友達という友達と喋らないせいで、なんだか自分の中での社会性...?ってものが薄れてきているんですよね。これ、どうにかしないとなーって思ってはいるんですよ。しかしながら簡単に解決できそうにない。解決した方がいいのに。

難しいことを考える。それ自体思考を使って遊んでいることだったりする。それに加えて感情の面倒まで見なければならない。どうも今年度は世知辛かった。正直ここに書き込んでいる余裕すらなかった。まぁ、今年度に関しては皆が皆苦しかったに違いない。

そう思い込む、そうすれば楽になる。諦めがつくんだと。何事も諦めが肝心だとはよく言ったものだ。その諦めというのは往生際のことかもしれない。なんとかここまでやってきた。

息切れが激しい。動悸がする。不安でおかしくなりそうなそんな毎日を送りながら、ふと気づいて、なんとか今に至る。今思ってもゾッとするくらいだから、まだ過去は振り返りたくないものだ。しかし、友達はどこに消えたんだ...?

みんなどこへ行った、とはよく言ったものだ。

見送る者もいないし。寂しいもんだねぇ。悲しきを文で表現することが大切なのかもしれない。日本文学でも読むか。といっても、友達を作るという問題を解決したことにはならないだろう。

世間知らずも甚だしい。そう言っていた自分はブーメランを投げていたか。どっちかというと、世間を性善説で見過ぎでいた節がある。ぬかるみに足が絡めば最後。って感じで、命からがら助かって来たって感じ。一時期ホント精神的に危なかった。車のせい。

今の頭の中はどうだい、元気に水槽の中を泳いでいるのかい。さぁ知らないが。たまには釣りに行きたいかもね。仕事が始まる、仕事が始まる。あー。

 

社会かー。なんだろうね。会うことを前提とした空間を意味するのかね。祭りごとを収めたり、経て済ませたり、陣地を取ったり、ルールを決めたり、社会科学ってなんなのだろうか。

今認識できないほどに自然と思っている何かなのかもしれないなぁと思ったり。

 

公然の科学。どこまで行けば生活なのか。

根本的に寂しさは何も、何も解決されていないように思える。どこまでも孤独で、どこまでも苦しい。そんなのが続くのかな。

寒い、冷える日々が続きそうな気がした。